キッチンの落書き

強制収容所と言えばナチスアウシュビッツが有名です。

ナチスはドイツの政権をとっていたのでアウシュビッツもドイツにあると思っている人も多いかもしれませんが、ポーランドにあります。僕もドイツに行くまで知りませんでした。

ただ、ドイツ国内にも強制収容所はいくつかあり、その一つ、ザクセンハウゼン収容所に行った事があります。

と言っても、歴史をしっかり勉強してから行った訳でもなく、第二次世界大戦中にユダヤ人が収容されて虐殺が行われていた、という程度の知識だけで訪れました。

訪れたのも1月初めの寒い時期で、雪は溶けていたものの空は重く、人も少なく、とても寒かったことを覚えています。

 

f:id:yutakam0616:20180103211431j:plain収容所と言っても跡なので、建物もあまり残っていません。パネルや建物跡地なんかが多く、物悲しいところです。その中でもいくつかは建物が残っていました。

最も印象的だったのが、残った建物の一つである調理棟でした。

食事も収容された人たちで作っていたようで、地下に広い炊事場がありました。

何本も太い四角い柱が立っていて、その柱にはいくつか絵が描かれていました。

絶望や悲壮感を表したものではなく、野菜に顔と手足がついて、楽しそうに遊んでいるような絵でした。

洗われて調理されていく、という見方をすれば収容された人たちの運命に重ねることもできますが、しんとした空気の中で見るその落書きは本当にポップで可愛らしく、絶望、運命、生命力みたいな力の入ったものではなかったのです。

いつ殺されるか分からないような過酷な環境の中だったでしょうから、想像できないくらいの重圧、不安の中で過ごしていたはずなのに、そういう絵が残っている。

そういう普通の、日常に近い感覚から出てきたものが残っている事が、そこにいたのが運命に翻弄されたとか悲劇の被害者である前に人間だったのだと感じさせられました。

 

ものを覚えようとすると、できるだけ単純化して『これは悲劇であり、彼らは被害者で、彼らが加害者である』といった形にして頭に入れてしまう事があります。むしろ、最初の知識はその程度になりがちです。

ホロコーストはあったし、『ユダヤ人は収容される前にこんな悪行をしていた』といった告発があったとしてもホロコーストを正当化できることはないと考えていますが、それでも現地に行くまではユダヤ人の『とにかく被害者』として、とてものっぺりしたイメージを持っていたと思うのです。

 

被害者として声を上げる、ということについては少し考えるところもありますが、とりあえず今回は、ただ自分が勉強不足だったことを実感したという事です。

認識が変わったり、深まったりした時に、勉強が必要な理由、実際に肌で感じることの価値というものを改めて実感させられます。