勉強法

『昨日、白い犬を見た。』
と聞くと別に大した情報ではないし、大抵の人には驚きもないと思う。
ただ、犬がいない地域であれば犬がいたこと自体が驚きだし、犬はいても白いものは珍しいのであれば『白い犬』が驚きの原因になる。
さらに、その人が盲であれば『見えた』ということが意外だし、昨日はずっと外出しなかったのであれば昨日であることに違和感を覚える。

情報の送り手は重ねたり、省いたりして特に伝えたい部分を強調することができる。
『昨日、白い犬を見た。犬だ。』『犬を見た。』などなど。

ただし、受け手側がどんな情報を持っているかによって、強調されたとしてもそれが送り手の思い通りに伝わるかは変わってくる。
つまり、情報自体に価値はあるが、前提条件、予備知識の有無が受け手にとっての情報の質を決定する。
極端な話、暗号なのであればあらかじめ解読の手法を知らなくては真意が伝わることはない。
馬の耳に念仏に近いかもしれない。

同じ情報から多くの有益な情報を得る、そのためには背景知識の取得が要る、だからこそ勉強が必要なのであって、そういった情報のインプット、アウトプットに耐えるだけのものを得なければ勉強の意義がない。
『直感で感じた方がいい』『先入観は捨てて』
というけれど、培ってきた知識から作られる立ち位置なしにはものの見方も何もないのではないかと思う。

そんな効果的な勉強ができていないからこそ、世間でも勉強法なる本が売れたり、こうして抽象的に考えて、うまくいく方法はないかと模索したするんだろうな。