epic2014

だいぶ時代遅れなんですが、マスコミの勉強してて初めてepic2014を見ました。言われてみれば『googlezon』って聞いたことある気がする。

4月の頭に、最終的には落とされてたんですが、運よく新聞社の筆記試験には通ったので、ジャーナリズムのいろはを少しでもかじっておこうと思って、いろいろ調べてる中で見つけました。
面接の中でも新聞メディアのこれからについては聞かれることもあって、根拠も薄く『御社の発行する新聞はネットとは競合しない』みたいなことを言い張りましたが、けっこうメジャーなトピックなので改めて考えてみる必要があるかと。

最近のシンポジウムでもあったように、購読数が減少気味とは言っても、僕も結局はネットがあろうと新聞は取り続けるんじゃないかと思っています。やはりこれらも別モノだと思うので。個人的な感覚だけど、いくらネットでニュースを見たところで、その日の新聞を読んだ気にはなれないと思うし、新聞を読めばその日の最低限度の情報は押さえたと思える。

epicにもあるように、ネットによる情報提供の強みは個人の嗜好性にあわせることができるところだと思っています。欲しい情報を主体的に取りに行ったり、提供してもらったりができる。
それと逆なのが新聞などのメディアで、画一性が強みだと思います。

だから、『インターネットは情報の取捨選択が重要』とは言うけれど、それは新聞も同じで、日経なら文庫本一冊分くらいの情報が毎日届けられるわけで、その中から見出しをピックアップしながら深めるべきところは深く読んでいく姿勢が必要なんだと思います。やっぱり全部読む人はかなり少数派だろうし。

そういう意味で、画一的なものを押し付けるようなメディアだとも言えるし、社会情報の基礎基盤を作っているとも言える。共通認識を作っておく、みたいな。

役割が違う、とは言ってもこのまま同じ事を続けていけるかとなると、一般論ながらそれなりに環境に対応した変化は求められてくるとは思います。新聞でなくても実際に廃刊に追い込まれた出版物は多いわけだから。
草の根的活動をして、独自の視点を持った市民ジャーナリストや写真家がネットで活躍する中で、既存のメディアに求められるのは彼らにはない、信頼だとか質といった部分だと思っています。極端に言えば受け手が情報を鵜呑みにしていいだけのクオリティみたいなものを。

実際に新聞社の話を聞いて、ちょうど自分たちの役割を再認識しながら、新しい方向へ向かってまさに活動している最中なのかな、という印象を受けました。

こんな偉そうなこと書いておきながら、実は新聞購読を始めてから二年も経ってないんだけども。