勉強法

『昨日、白い犬を見た。』
と聞くと別に大した情報ではないし、大抵の人には驚きもないと思う。
ただ、犬がいない地域であれば犬がいたこと自体が驚きだし、犬はいても白いものは珍しいのであれば『白い犬』が驚きの原因になる。
さらに、その人が盲であれば『見えた』ということが意外だし、昨日はずっと外出しなかったのであれば昨日であることに違和感を覚える。

情報の送り手は重ねたり、省いたりして特に伝えたい部分を強調することができる。
『昨日、白い犬を見た。犬だ。』『犬を見た。』などなど。

ただし、受け手側がどんな情報を持っているかによって、強調されたとしてもそれが送り手の思い通りに伝わるかは変わってくる。
つまり、情報自体に価値はあるが、前提条件、予備知識の有無が受け手にとっての情報の質を決定する。
極端な話、暗号なのであればあらかじめ解読の手法を知らなくては真意が伝わることはない。
馬の耳に念仏に近いかもしれない。

同じ情報から多くの有益な情報を得る、そのためには背景知識の取得が要る、だからこそ勉強が必要なのであって、そういった情報のインプット、アウトプットに耐えるだけのものを得なければ勉強の意義がない。
『直感で感じた方がいい』『先入観は捨てて』
というけれど、培ってきた知識から作られる立ち位置なしにはものの見方も何もないのではないかと思う。

そんな効果的な勉強ができていないからこそ、世間でも勉強法なる本が売れたり、こうして抽象的に考えて、うまくいく方法はないかと模索したするんだろうな。

 

書き続け

年寄りの戯言のようだが、『昔はあんなにできたのに』と過去の自分と比較して、衰えたと感じることがある。
ものを書くのもそのひとつだ。

14年も前には毎週のようにそれなりの文章を書き、手前味噌ながら、自分らしい、それなりに読めるものを書いていたように思う。
その頃は、特に下書きや書き溜めをするわけでもなく、そのとき思いついたネタで思いのままに書いていた。
論じているというレベルではないものの、自分の中では書き終えた、という感覚に至れていたわけだが、最近は書ける気がしない。ましてや誰かが読むかもしれないものだ。

それでも書こうと思ったのは、続けることでしか身につかない、続けないと廃れていくものだと再認識したからで。
昔取った杵柄、というか、過去に身についたものはそう簡単には離れない、久しぶりにやっても体が覚えているというが、それは『意外とやれるものだ』というくらいで全盛期のそれではないだろうし、プロの仕事でもない。
プロのブロガーでもないので、大したクオリティはいらないにしても、それなりのものをとにかく完成させることが大事、とこれに限らず周囲のことでも実感したので、ありがちな年始の豊富だが、継続は力なり、を実践したいと思った次第である。

キッチンの落書き

強制収容所と言えばナチスアウシュビッツが有名です。

ナチスはドイツの政権をとっていたのでアウシュビッツもドイツにあると思っている人も多いかもしれませんが、ポーランドにあります。僕もドイツに行くまで知りませんでした。

ただ、ドイツ国内にも強制収容所はいくつかあり、その一つ、ザクセンハウゼン収容所に行った事があります。

と言っても、歴史をしっかり勉強してから行った訳でもなく、第二次世界大戦中にユダヤ人が収容されて虐殺が行われていた、という程度の知識だけで訪れました。

訪れたのも1月初めの寒い時期で、雪は溶けていたものの空は重く、人も少なく、とても寒かったことを覚えています。

 

f:id:yutakam0616:20180103211431j:plain収容所と言っても跡なので、建物もあまり残っていません。パネルや建物跡地なんかが多く、物悲しいところです。その中でもいくつかは建物が残っていました。

最も印象的だったのが、残った建物の一つである調理棟でした。

食事も収容された人たちで作っていたようで、地下に広い炊事場がありました。

何本も太い四角い柱が立っていて、その柱にはいくつか絵が描かれていました。

絶望や悲壮感を表したものではなく、野菜に顔と手足がついて、楽しそうに遊んでいるような絵でした。

洗われて調理されていく、という見方をすれば収容された人たちの運命に重ねることもできますが、しんとした空気の中で見るその落書きは本当にポップで可愛らしく、絶望、運命、生命力みたいな力の入ったものではなかったのです。

いつ殺されるか分からないような過酷な環境の中だったでしょうから、想像できないくらいの重圧、不安の中で過ごしていたはずなのに、そういう絵が残っている。

そういう普通の、日常に近い感覚から出てきたものが残っている事が、そこにいたのが運命に翻弄されたとか悲劇の被害者である前に人間だったのだと感じさせられました。

 

ものを覚えようとすると、できるだけ単純化して『これは悲劇であり、彼らは被害者で、彼らが加害者である』といった形にして頭に入れてしまう事があります。むしろ、最初の知識はその程度になりがちです。

ホロコーストはあったし、『ユダヤ人は収容される前にこんな悪行をしていた』といった告発があったとしてもホロコーストを正当化できることはないと考えていますが、それでも現地に行くまではユダヤ人の『とにかく被害者』として、とてものっぺりしたイメージを持っていたと思うのです。

 

被害者として声を上げる、ということについては少し考えるところもありますが、とりあえず今回は、ただ自分が勉強不足だったことを実感したという事です。

認識が変わったり、深まったりした時に、勉強が必要な理由、実際に肌で感じることの価値というものを改めて実感させられます。

海の外へ

初めて一人で海外に行ったのは2009年7月だった。

それまでには家族とツアーの旅行に行った程度で、アメリカ、イギリス、イタリア、スペインを訪れていた。

大学生になっても英語に自信もなく、特に海外に魅せられることもなかった。

そんな自分を変えたいというのもあって、二度目の大学生の夏休みを早々に、入学式より前に海外行きを決めていたのである。

 

行き先はドイツのJenaという街の研究所。当然、ドイツ語など話せない。

自分で航空券を買って、現地で特急のチケットを買い、ドキドキしながらも目的地に着き、ホームシックになることもなく、週末にはドイツ国内を旅行しながら、無事に帰ってきた。

 

今思えば現地でもっとやれることがあったような気もするが、少なくとも人生の中でやっておいてよかったと思えることの一つだ。

 

f:id:yutakam0616:20171212233451j:plainこんなところに初めて一人でやってきて、よく頑張れたと思う。

 

それに気を良くしたのか、その後もドイツ、ドイツ滞在中にチェコ、オランダ、ベルギー、イギリスに行き、ペルー、ボリビア、インド、シンガポール、中国、インドネシアカンボジアスリランカイスラエル、ヨルダン、トルコ、ベトナムミャンマーと着実に国数を増やして21の国に行くことができた。

そしてちょうど10年のパスポートが期限を迎えた。

 

スタンプラリーみたいにたくさんの国に行けばいいってものではなくて、『そこで何をするかが重要』と言われるとその通りかもしれないし、国内でその国のことを勉強してから行くべきというのも正しいと思う。

ただ、毎回その国の言葉をマスターしてから行くことはできないし、歴史文化の本を何冊も読んで行くこともできないので、長い休みが取れたからとりあえず地球の歩き方を買って、一冊くらいなんかの本を読んでから、間に合わなければ読みながら行ってみる。

それで後悔したこともないし、『また行きたい』と思うのはやりきれていないからかもしれないけれど、毎回いい旅だと思う。

 

とりあえず、町歩き(スーパー、飲み屋)、鉄道、遺跡。それだけ行ければ冒険は達成できた気になれる。

『次はどこに行こう』って思えるのも好きな証拠なのかもしれない。

全体的にはキライ

UVERworldをご存知だろうか。

人気のロックバンドであり、卑下した言い方をすると女子中高生あたりに人気がありそうな雰囲気、楽曲を作る。

がっつり濃いめの味付けで、若さ、むしろ幼さがないと食指が動きそうもなく、イントロから斬りつけるようなシャウトが入ったりで早々に年寄りには耐えられなくなるような。

歌詞も『世の中はこんなんじゃないはずだろう?』みたいな10代の窮屈な感覚に沿うような、少しだけ具体的でほとんど抽象的な世界観で、多くの若者が自分を重ねられそうにできていると思う。

 

ここまで書くと『そんな幼稚なバンドで全然価値がない』という結果に持っていけそうだが、僕はこのバンドが好きなのである。

いや、上に書いたような理由でパッケージとしてはキライで、女子中高生だけに受けてればいいと思っているし、ビジュアルとかMCとかも全体的に共感することはほぼない。

自分の仕事のことなんてわかるはずがないし、いっぱしのバンドマンが世の中のことなんて知ってる訳がないし、実際に歌詞も自分には空回るものばかり。∞ってなんだよ、とか。

なのに、ふとえぐるように共感させられる歌詞やメロディーがあって、しかもそれが狙っているように出てくる。

 

インタビューとかも読んだことはないけれど、フロントマンのTAKUYA∞という人は上っ面を極めたアーティストなのかと思う(褒め言葉)。

多くの人に共感させる能力がアーティストには必要だと思えば、どんなアーティストも自分の経験から想像して表現する世界を作っているのだろうから、上っ面に過ぎないのかも知れない。

ただ、自分にとってはUVERworldの上っ面感は『どうせ俺にはお前らのことなんてわかってねぇよ』みたいな開き直ったシャウトの上に成り立ってそうで、それがたまに綺麗に切りつけてくる。

天然でも計算でもいいが、全体的にキライなのに聞く気になるっていうのは結構好きなんだろうなと思わされる。


ALL ALONE LIVE

原動機付き自転車

ミャンマーに行った際に例によって自転車を借りようと思ったら、e-bikeなるものを勧められ、特に高くもなかった(1日700円くらい)ため、借りることにした。

実際のところ、e-bikeとは電動の原付だった。

 

普通免許は持っているものの、原付は乗ったことがなく、当然ヘルメットなんかも持っているはずもなく。

そんなことを伝えると、免許は不要、ヘルメットも不要とのこと。

距離もあるし、日中は暑くなるし、これはもう試してみようということで、中華電動スクター『緬々』をバガンの地で借用し、生まれて初めての原付に乗ったのだった。

 

 

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中華電動スクター『緬々』

 

 

高低差はないものの、バガンの陽は強く、道は悪く、借りて正解であった。

時速40kmくらいは出るので涼しいし、盗まれそうな雰囲気もなく、置くところも特に困らなかった。

道が悪くても結構走ってくれるので、道無き道を行き過ぎて、道に迷ったりはしたけれど、無事に帰ってくることができました。

 

 

f:id:yutakam0616:20171105002342j:plain道はほぼ未舗装。道か畑かわからないことも

 

タクシーで観光するのが嫌いな身としては、ごみごみした観光地では難しいものの、スリランカのアヌーラダプラとか、それこそ仏教遺跡群では原付はなかなか便利なんじゃないかと。

待ち焦がれたり根気を持ったり

森見登美彦が好きです。

学生時代を京都で過ごしたせいで、舞台がありありと目に浮かぶのと、学生のゆるくひねくれた考え方とかが理解できるような気がして。

 

最初の受賞がファンタジーの賞だったりして、確かに純文学ではなくてライトノベルに近いような読みやすさも売りだったりするわけで、今回は有頂天家族の続編『二代目の帰朝』を読みました。

アニメ化されてポップな人気も出ているようで。

 

感想としては、森見さんらしい世界観を作っているものの、自分に若々しさがなくなった今は昔ほどは楽しめなかった。覚えられないほどの登場人物ではないし、話もわかりやすいし、設定も好きだけれど、シリーズ物としてフォローしていく根気が自分になくなっているようだ。ドラマを最後まで見たり、ゲームを最後までやるような根気、勢いが。

 

なので、小説は上下巻くらいで完結か短編がいい。

村上春樹の新作が文庫になるのは待てるけど、ライトノベルの続刊を首を長くして待てるのは若者かよっぽどのファンなのだと思わされた。

 

楽しみに待てるのは給料日、飲み会、長期休みくらいになっている。

物欲にまみれてもいいから、仕事に関係なく待ち焦がれるものができるようにしたい。