議会解散

衆院が解散になったのを見て、メディアで言われるように『勝てる内に選挙をしておく』という側面が強いのかなと思っている。

 

色々と政権へのダメージがあって、支持率も下がっていきそうだけど、今なら野党も準備ができていないし、とりあえず与党を続けられるくらいの集票はできそうだから、という具合の。

イギリスでは首相の一存だけでは議会の解散はできなくなったとニュースでやっていたけど、ごもっともで、大富豪が好きなタイミングで革命を起こせるみたいな権力者に有利なシステムになっていると思う。

 

ただ、争点が曖昧な選挙になる、と言われて、確かにその通りだと思うのは、野党側が方針の違いをしっかり打ち出せていないせいもあるのではと思う。

与党側が野党の政策に寄り添う形で決定的な違いを見えないようにして、方針に差がないのであれば実績のある方に票を、というのを狙っているようにも見え、実際にそれが効果的であるように思う。

 

個人的には政治家に品性とかは期待していなくて、多少裏で汚いことをやろうとも、それを目立たないようにして、表向きで国益に適うことをしていれば十分かと。イメージ戦略は重要とは言っても、別に学級委員を選ぶのとは違うのだから。

スキャンダルを追求する政治家もそれによって支持しなくなる有権者も、それは政治の重要なところではないように思う。

 

むしろそういうところばかりを目につくところに出して、政治への関心を下げようっていうのなら、それはそれで戦略として効果が出ているだろうが。

 

もっと政治に関心を持てるようになれば見方も変わるだろうか。

仏教徒の水島

一生で読める本の数なんてたかが知れている

たまに聞くことだが、あまり実感が湧かないでいた。

月に1冊読んだとして、年間12冊、50年で600冊。多いようだけど、決して無限ではなくて、むしろ、あと50年生きるとしても、夏はあと50回しかこないのか。 

 

ミャンマーに行く機会がありそうで、ふと『ビルマの竪琴』を読んでみた。

水島上等兵が僧になる話であることはなんとなく聞いていたけれど、思った以上に考えさせられる作品だった。

もともとは童話として書かれたそうで、確かに話の運びはテンポが良くさらりと読めるものの、内容は子供向けではないように思う。

 

集団心理について書かれた部分があって、集団である方向に向かっていて、テンションが上がっていると、個人が違和感を持ってもそれを言い出せなくなる異様な勢いが生まれてしまうというようなことが書かれている。

水島はその集団に属していないので、内部から声を上げるようなことはしないが、欅坂に通じるような描写で、

 

あとはミャンマー残るという決断が、その国のためでなく自国民のため、というのが今の海外ボランティアとは違う、日本人だからこそという意思があった。結局全ては自分のため、とは思っているけれど、責任感は内に残しながら、理由を外に置くというスタンスは共感できた。

 

ビルマ僧を素晴らしく書かれているものの、今のロヒンギャの問題を考えると、その価値は変わらないにしても、それは一面に過ぎないとも思わされる。

 

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

 

 

筆まめ

話が下手だなぁ、と思わされることが多くなった。

 

仕事の上でも、何気ない会話でも。

簡潔に伝えようと思った結果、まとまりもオチもない話に終始してしまう。

もともと話は得意ではなかったから、急に下手になったというわけではないけれど、おそらく自分の背景を知らない人たちと話さなくてはいけないことが増えて、できるだけ当たり障りなく済まそう、でしゃばらないようにしようなどと思うこともそれを手伝っていたりして。

 

それにどちらかといえば聞く方が得意だと思っていたし、愚痴でも多少くだらない話でも聞いていられる反面、聞きたくない話はできるだけ聞かせたくないという意識も拍車をかけて。

 

コミュニケーションの上で準備のない他愛のない話も必要ではあるけれど、せっかく話をするなら聞いている方に何かしらの影響を与えられるような話をしたい、と齋藤孝の本にもあった高尚な内容に共感したので、何かあった時にふと話のネタが出てくるように、話の運び方のトレーニングのためにも日頃から文章を書いておくのは大切なのだと。改めて気づかされたので、その決意を兼ねて。

 

落ちたコンタクトは反対向きに

洗面所でコンタクトを落とすと、だいたいお椀を伏せた形で落ちるので、取るのに爪を使ったり、排水溝の方まで寄せていってリスキーな状態においてから対処したりする。

今日も急いでるのにコンタクトが指から落ちた。

見事な正常なお椀の向きになって落ちていた。

世の中、うまく行くこともしばしばあるらしい。

2014-12-08

少しネガティブな感じに、世の中にはいろんな人がいるんだと思うようになった。

これまではそれなりに似たような人たちの中にいたわけで、そんな集団の中でも変わり者はいた。

けど、話は通じたし、共有できる前提条件もあった。大したものではないはずの前提条件。

自分の都合に合わないからそう思う瞬間もあるけど

そんな風に多様性を実感できる環境にいるだけでも恵まれているといえばそうなのかもしれない。

ネット開通

2年半ほど、部屋にネット環境がない状態が続いていた。

いちおうテザリング可能なスマートフォンがあるし、単純にあまり必要性を感じなかったので解約していた。

その状態にかなり慣れてはいたものの、やはり最近になってネット環境は必要だと考えるようになった。

特に有線の。流行りのモバイルルーターでなく。

一つはwifi接続できる機器がすべて『閉じた』状態になってしまうこと。

もともとwifiに接続して使うようにできているため、やはり本領発揮してくれない。

具体的には機器間のデータのやりとり。写真にしろ文章にしろ、クラウドが当然のようになっているので人との共有を含めて、毎回テザリングで繋ぐのはやっぱり面倒であった。

職場が有線LANしか使えないので、ipadの更新がほとんどできなかったのも一つの理由。

モバイルルーターでは不満だったのは、やはり速度の問題があり、さらに戸外で必要になることがあまりなかったため。

試しに一度レンタルしてみたものの、部屋では全然スピードが出ず、パソコンのアップデートには力不足だと感じたので。

そんなあまりクリティカルでない種々の理由と、少しの勢いがあってまた光回線を開通させました。

安い料金ではないし、無駄にネットで時間を浪費する可能性もあるけど、生活基盤の一つとして改めてどう活用していこうかと考える機会になりました。

あまり時間を使わず、必要な情報を手に入れ、発信もする。さらに生活に組み込んで質を上げられるようにするような。

休日に水族館へ

常々水族館に行きたいと思っていたところで

『明日は水族館に行ってきます!』

のメッセージを見てしまったので、思わず『心の底から羨ましい』と言ってみたところなんと連れて行ってもらえることになった。

最近よく思う、何事も言ってみるものだ、の精神が間違いでなかったと思わされた。

池袋はちらほらと浴衣姿を見かけるものの、自分の中の池袋らしくゴミゴミと雑多であった。

水族館は実はあまり期待していなくて、ビルの中になるのだから最低限だろうと思っていたのに、意外やカエルが充実していたり、大きな水槽があってしっかりした水族館であった。

ついでに特別企画の『金魚展』にも行ってみたが、これもまた金魚は鮒から派生したとか、もともとは上から見られることを意識して交配が進んできたなど新しい知見が得られたり、群泳する金魚がすごくきれいだったりして次に金魚掬いのチャンスがあったら是非持って帰って育てたいなどと思った。

また不安定な時期だっただけに、こっちが救われたような素敵な休日でした。