青蓮院の楠

週の半ばですが、この一週間のヘビーローテーション大塚愛の『Cherish』で決まりでした。有線でもけっこう流れてるみたいだし。大塚愛方面にまた一歩進んでしまった気がします。

ローマ教皇が決まったそうですね。世間に反して『教皇』ということばをできるだけ使っていきたいと思います。新教皇は予想通り徳のありそうなおじいさんでしたが。ふと思ったんだけど枢機卿の社会では、今回の選挙の結果に対して、『やっぱり彼か』とか『あいつはありえない!』みたいな話がされてるんでしょうか?賭けの対象にはなってないと思うけど。

写真は青蓮院の入り口の楠。枝の広がり方とかが『すげぇ』って思わされたので。おそらく冬のうちは気付かなかったと思います。というのも春先のあったかい日で、地面に作り出す影と、幹にかかる影のコントラストがあったから気に留められただろうからです。

『光あるところに影あり』みたいな話がありますが、大げさなことを言うわけじゃないけどまぁそんなもんなんだと最近よく思います。今風にいうと『等価交換』みたいな。…古いか。

なんか買えばモノが手にはいる代わりにお金を失うし、一つのことを決めたら他の可能性を失うことになるし、失敗したからこそ得るものもあったり。

だから嫌なことがあってもそれに代わるようないいことがあるよ、みたいな話で結べたらきれいなのだろうけど。ただ、そう考えたら何事も張り合いがなくなって、『どっちに転んでもいいや』ってなりそうになるんです。けど、どっちでもいいならいい機会だから悩んでみよう、とポジティブにじっくり悩んでみる。ちゃんと悩んだら決めてみる。どっちでもいけど、決めたことにはできるだけ自分の意思を反映させたい、って感じで。

だからこそ適当なことしてみても、いちおう自分で受け止められるのかも。就職しないこともバイトやめらんないことも含めて。