昼休み

中学生の頃、給食のあとの昼休みにはグラウンドでサッカーしたり、音楽室に忍び込んでみたり、教室で話をしたりといろんな過ごし方をしていた。その中でも印象的で、今の自分に影響を与えているなと思えるのはプールの裏でたむろしていたことだ。

たむろしていたと言っても隠れてたばこを吸ってたわけでもないし、誰かいじめてたわけでもない。そんなワルになれるほどの素質もなかった。

プール裏に集まっては午前中で授業が終わって帰っていく小学生相手に芸を披露したり、給食で残った牛乳や袋詰めのものを持ち寄って穴を掘って保管してみたりしていた。

この集団のほとんどの方針を決めていたのが山崎という男で、勉強はそつなくできて、スポーツもそこそこにできる、いわゆる優等生だった。それなのに特に教師たちに好かれているわけでもなく、逆にどこかばかにしたような態度で、その中途半端な立場をとても気に入っていたようだった。

ちょうど地下鉄サリン事件の頃には、影響を受けて幹部の名前を覚えたり、布教ビデオをどこからともなく手に入れてみたり、手に入る限りの危なげなものを調合したりしていた。

表面だけ考えればいかにも多感なアウトローな中学生という感じだが、今にして思い出してみると奴の感性は既にできあがっていたのではないかと思える。間違いなく他の7、8人の仲間たちは山崎という男が何を考えて、何のために行動しているのかなど分かっていなかった。

僕からすれば、奴との間で感性を共有したり競争したりするのが目的であり、楽しみであったが、どうやら奴のほうもだいたい同じだったらしい。向こうからすればどのくらい刺激を受けていたかは分からないが、僕のほうは中学時代でもっとも刺激を受けたと言ってもいいくらいに影響を受け、啓発された。斜に構えるようになったのもこの頃からだと思う。

結局この集会は下級生のチクリによって教師がプール周りを徘徊し始めたため、自然と解散となった。

そのあとは別に何があったこともないが、少しだけ距離ができ、昼休みはお互いに別の時間を過ごすようになった。卒業後、偏差値からいけば当然同じ高校へ進むはずであったが、奴は家の都合で県の南へ引越し、同じ高校へ進むことはなかった。

人づてに東大へ行ったことは聞いた。だが、あの感性を失っていたらひどく幻滅してしまいそうで、今も再会することにはあまり積極的にはなれない。