墓地を歩いて

先日、夜中に墓地を歩く機会があった。もちろんひとりではなくて、相方を連れて夜の散歩を楽しんでいるときだった。

幽霊とかたたりという話は昔からあって、だいたい『ほんとにいるのか?』という存在の話につながることが多い。僕個人としては無難に『どちらとも言えない』という立場である。

この春先にも嵐山のいかにも『出そうな』トンネルを独りで走って精神崩壊を起こしそうになったばかりである。あのときは何が出てもおかしくないと思えた。

結局、『出るかも』という気持ちとそれを助長するような雰囲気の相乗効果でもって、そういう精神状態になることでありえないものが見えるんじゃないかと思ってる。だから、『見える人には見える』というのが正しいんじゃないかと思える。

その墓地を歩きながら話していたことだが、なぜ、人は墓地を怖がるのか。単純に死者の側には行きたくない、という本能がおそらくあるのだろう。

隔離することで自分の立場を明らかにして安定させる。わざわざそんなことを考えながらお墓を建てることはまずないだろうけど、きっとどこか無意識にそんなことを考えていたりするのだろうね。

そんなこんなで話を続けていたら、死者との境界を引くのは分かるが、じゃあ『たたり』ってなんだ?という話になった。もう少しいい季節になるまでにまたゆっくり考えてみようか。