いい訳程度に載っけておきます。こんなステージを建ててやろうと思って画策した時期がありました。結果は周知のとおり。
一年位前に、今は東京で社会人してる友人から
『大塚愛の曲のどこがいいか分からない、説明してくれ』
と言われたことがあります。いや、わざわざ大塚愛をあげる必要はないのだけど。
曲のどこがいいか説明してくれ、と言われてもこの旋律がどうのとか、この歌詞がうまいだとか言っても分からない人にはわからない。高尚だ低俗だということじゃなく、感性が合う人にしかそれはわからない。だから、とりあえず
『何も考えずに聴けるところ』
と答えた気がする。
今にしてふと思うに、ひとりが思ういい曲というのも種類があって。つまり、聴き方のスタイルには種類がある。
クラシックは聴かないから下手なこと言えないけど、第九とか運命をポータブルでリピートかけながら聴く人はあんまりいないと思う。いったん終わってからまたイントロが始まったらちょっと笑えてきそう。イヤホンじゃ聞ける音も狭そうだし。もちろん、僕だからそう思うだけかもしれないけど。
そう考えると5分弱のJ-popなんて繰り返し聞いててもしばらくは飽きない。消費される音楽とも言われるけど、消費できるという特徴を持っているのだな、と。
一般に消費できるような音楽はあとに残っていい曲とは言われにくく、後になっても聴き続けられるものが名曲扱いされる傾向があると思う。
でも、最近のリバイバル志向にもあるように、昔売れた曲を改めて聞いてみると、何度か聴いていたはずなのに、意外にまた『いい曲だ』と聴けたりする。
消費されてるのは自分の中だけであって、曲自信が擦り切れてるわけじゃないからね。
そう言いながら昔の曲聴きながら思い出に浸ってるのはやっぱり歳のせいなのかなぁ。