特撮モノはつくれない

響鬼を久しぶりに見た。あいかわらず微妙なテンポだった。

製作側の意図はよくわからないけど、今じゃ流行らないであろう『アツさ』みたいなのが感じられなくて。もっと素直にわかりやすく作ったらいいのにと思う。

いつだったかうちの兄が言うには、今の特撮モノが昔の特撮モノと変わってきたのは世間が求めてるものが変わったから、ということもあるだろうが、きっとそれは一番の理由じゃない。

作らないんじゃなくて、作れないんだと。

良くも悪くも、昔の特撮モノを見て育った人が今の製作側に回ってるんだろうが、見てきたものを下地にしてそれ以上のものを作るだけのインスピレーションがないから、斜に構えて昔を皮肉ったものを作るんだと。

おもしろさも、単純に夢中になれた時期から、小学校入って無条件に否定し始めて、中学高校になったら馬鹿にするようになって。けど、大人になってから見ると、ばかばかしいと思う部分もあるけど、何か惹きつけるものがあるのを素直に認められるようになる。

なるほど、なかなかいいことを言うと思った。

確かに限られた表現方法の中であくせくして考え出した演出は、当時の彼らのバックグラウンドからひねり出されたものだろうし、今の製作側にはもうなくなってしまった感覚なんだと思う。ひねり出す必要がないというか。

今見れば昔の特撮なんて笑えてしまう部分もあるけれど、よくよく見ればすごい体の張りかたしてるし、CGもないのによくこんなの撮ろうと思ったな、とある種の感動だってある。

10年もしたら今のシリーズが絶賛されたりするのかもしれない。単純に昔を美化しようとするつもりはないけど、それでも一昔前のは長く評価を得るような気がする。今のシリーズはやっぱりどこの層を狙ってるのかよくわからない。