別の視点

 知らない道を歩いてく。しばらく行くとみたことがある景色になって、『あぁ、こんなところにつながっていたのか』と気付く。

初対面の人と探りあいながらぎくしゃくと話をする。実は意外なところで共通の知人がいることが分かり、『世間は狭い』と気付かされる。

自分の知らない場所にいたり、知らない人といると新鮮味はあってもやはりどこか落ち着かない。そんなときにふと、知っている場所や名前が出てくると急に心強くなる。

自分の中にあるものは自分で思っているほど小さな世界に収まるものではなくて、知らないところでいろいろなところとつながっている。つながってから改めて見ると、広いと思っていた世界の方が実は狭いんじゃないかとさえ思えてくる。

これは地理的な世界や人間関係の世界だけじゃなく、仕事や学問の専門分野においても当てはまると思う。

上から仕事を与えられて、自分が与えられるものなんてどうせちっぽけなものだ、と思っているうちはきっと、その面白さに気付くことは難しい。ちっぽけであることに変わりはないかもしれないが、その場所が分かると分からないとでは視点が大きく変わってくる。自発的な行動であっても同じで、自分の位置づけは必要な要素だ。

このときの自分の位置は座標で表されるような絶対的なものではない。GPSで自分のいる緯度経度を調べるのも面白いがそのうち飽きてしまうように、この場合は絶対的な位置はあまり意味がない。

直接にどんなことに関わっていて、どんな世界の近くにあるのか、本筋から少し離れて見渡してみるとものと自分の距離が見やすくなる。まったく別の視点から見て、視界に自分の位置が入ればもっといい。

思っていたよりも端にいるわけでもなく、見たり聞いたりしたことがあるような要素に囲まれていることも分かる。以前に通っていた道を見つけて、こっちへ行っていればあそこへつながっていたのか、と思い返せるかもしれない。

簡単に別の場所にいければいいけれど、実際にはそんなところに行ける機会は限られている。趣味の世界から仕事の世界を見ようとしたら、遠すぎて見えないことも十分に考えられる。

ただ、できることなら、自分の街から行ったことがないような場所まで全部見渡せる機会に多く恵まれればいいと思う。

…抽象しすぎてよくわからなくなってきたな。

 

でも、家に帰って地図を見返してみると『あんなところにいたのか!』って毎回のように驚かされる。

 

たべっ子どうぶつのチョコバージョン。ギザーって感じです。