反専門家志向

TOさんと夕飯を食べた。
彼が言うには、

人の持つ知識体系ってのは『Τ型』と『Π型』があって、前者は広く浅くある中に、専門として深いものを一つ持つ。後者は加えて副専攻みたいなものも持つ。

という感じらしい。確かに大学まで行ったんなら確固たる専門知識ってのは持ってしかるべき、そのために大学に行ってると考えるのが普通。別の目的の人もいるだろうし、結果的に別のところで多くを学んだという人も多いだろうけど、最高学府としての大学として見たら専門性を持った教育を行うところのはずだから。

ただ、なんかそれじゃイヤで。専門知識を掘り下げて行くのがイヤ。企業が博士を採らないような専門バカ、みたいな見方をするわけじゃないけど、自分が専門家になるっていうのはどうも…。

おそらく世の専門家、専門家じゃなくても専攻してる学生、院生であっても、大体はその分野のおもしろさを知ってる。仕方なく研究してる人も多いだろうけど、それでも何かしらがそこにあるから続けられるのだと思う。

だけど、そのおもしろさとか重要性っていうのは何も知らない一般の人に説明しようとしたら、おそらく伝わらない。これはきっと双方に原因があって、聞くほうはそれなりの基礎知識を身に付けなくてはいけないし、話すほうも自分で納得する以上の知識、理解が必要になるからだと思う。

だから結局いろんな分野のことを知りたいと思ったら、それに関わる機会が必要だし、自分で勉強する時間と気力もいる。

 

だから広く浅く、の浅くって言うのがどれだけの浅さかは知らないけれど、断片的な知識だけじゃなくて、もう一歩踏み込んでその道の人と会話が成り立つくらいの深さがあるといいなと思って。おもしろみを解せるくらいの。そんな能力があったら専門知識よりおもしろいと思うのだけどな。

あんまりいい形がないけど『∀』くらいが理想に近いかな。