効率よく救うために

パーキンソン病のような多因子性の疾患や骨髄腫みたいな珍しい病気を研究、治療を試みようとする場合、アイデアとしてどうアプローチしていくか以前に、実際に患者さんを見て、きっちりした病気のモデルを構築することが必要になる。相手が見えてこなければ何を治さなくてはいけないかもわからないままなので。

そのためには患者さんをできるだけ集めて、多くの事例を検証しなくてはならない。そうすることで効率的に有用なデータを蓄積することができ、迅速に次のステップへ進めると考えられるからだ。

その結果として国内での拠点、もしくは世界においての拠点が出来上がっていくことは効率の面から考えても患者さんに有益な流れだと考えられる。

 

難病の子供がいたりすると、

『都会の大きな病院に行かないと治らない』

といった展開の話をなにかで見たことがある。ありがちかもしれないけれど。

難しい手術が必要だというならきれいに終われるけれど、上のような研究中の難病で、研究のために集められた、となると一気に聞こえは悪くなる。『モルモットじゃないんだ』という風に。治ると信じて研究に参加するのもどこか悲しいと感じてしまうけど。

 

効率だけでは語れないものがあるのか、感情的になって考えてはいけないものがあるのか。

たまにはそんなことも考えていました。