質問の質

ここ最近、講演会のようなものに行くようにして、ちょっと文化人ぶっています。格好から入ったのかもしれないけど、本気でおもしろいと思えるようになってきてるので、結果的によかったです。

話の内容は科学技術を中心にしていろいろですが、どの話でも最後に必ず質問の時間がある。最近気になり始めた『質問』というものについて少し。

小さなセミナーとか学会のシンポジウムなんかだと馴染んでたものの、市民向けの講演会であってもやっぱり質問はあるんだなぁ、としみじみしました。最近この質問時間に関する問題がよく取り上げられてるけど、それはまた別の時に。

『質問はありませんか?』に対して、誰も手を上げず、司会の人がそれなりのことを聞く、っていう展開がよくあって、盛り上がりにかけるなぁ、と思うことは多い。でも聴衆としても『そんな質問ならやめて』と思う質問を度々耳にする。

最も質が劣ると思うのが、自分の知識をひけらかすような質問である。もう、質問というか自分の話を聞かせようとする感じで、最後は司会の『要点を…』の一声でつながりがよく分からない質問をして終わるのことになったりする。最近は質問文の中で話に転換が起きた時点で聞く気を半分以上なくしてしまいます。

ああいう場ではやっぱり話の中で論理が弱かったところとか、話し足りてなさそうなところを聞くのが場にふさわしいと思います。論者を困らせるような本質的な穴をつければそれもいいけど。

ただ、こういった質問も完全に劣悪だというわけでもない。他の聴衆が聞きたくもない話を聞かせるのがいけないのであって、もしも一対一の対談だったならいい展開が望めるんじゃないかと思うし。

 

もちろんいつも自分が理想的な質問ができてるとは思わないし、『質問力』は発言するに連れて次第に身に付いていく能力だと思います。結局、場を読む能力っていうのはどんな場面でも最低限必要な能力なんだろうな。