朱印帳を買いました。何事もきっかけが大事で、『そのうちやろう』はうそになるからです。「『いつか』は『今』」というのをモットーにしようかと思っているくらいですから。
ある有名な神宮でふと売店を見たら朱印をくれるところがあって、これまでも有名な寺社に行くたびに興味は持っていたので、思い切って買ってみることに。
ところが、思い返してみると前に朱印に興味を持ったのはどこかの寺だった気がする。
朱印は寺のものなのか神社のものなのか?
そんな疑問はあったもののとりあえず買って、二つの朱印をもらいました。これで、寺社巡りに1つ楽しみが加わりました。誰に見せるとかもないけど、どこかに出かけるときは忘れないように持ち歩こう。
由来の方ですが、改めて調べてみたら、朱印はどちらでもあるんだそうです。神社と寺社で帳を分ける人もいるそうですが、その辺もあいまいなんだそう。
この適当さからするに、もともと仏教のものが神道に伝わって厳格さがなくなっていき、今のような柔らかい朱印のシステムができたんじゃないかと思えてきます。