別モノ

科学技術というやつが好きです。科学技術というとかなり漠然としているけど最近は全部ひっくるめて考えることが多くなっています。

とは言っても、『科学』と『技術』は別モノとして認識すべきだと思っています。大まかに言えば
科学は抽象化していくこと
技術は具体化していくこと
くらい、理学か工学かという違いでいいんでしょう。

また覆すようですが、区別はしても独立して存在するものでもない。新しい技術を得るためには自然科学の真理みたいなものが必要になるし、それによって生まれた技術によって科学にフィードバックしていくこともあるわけで。

こういう感じで科学技術っていうものが発展していくのだろうけど、一番の問題はこの科学技術の回路に人の価値観が入りにくいことだと思う。特に蚊帳の外にいる非研究者の人たちの。だからこそ、ある程度までは目隠しでも発展していくとも言えるのだけど。

研究の世界にいて思うのは、どこで良心の呵責が起きるのか?ということ。動物実験をすることにもさして抵抗はないし、自分の研究が人類を滅ぼすことになるかも、なんて本気で思えるほどの人もまれだろうし。そんな状態でも成果はどんどん上がって、蓄積されていく。

蓄積された成果がどんな使われ方をするかになると、ほとんど研究者の手を離れている。多くの場合、享受するのは蚊帳の外にいた人たち。技術の蓄積があれば何らかの形で使おうとするのが自然な姿だろうし、追い詰められた状況にあればなおさらのこと。『どんなことをしてでも生きたい』という人を否定することもできない。

そう考えながら、『できること』と『していいこと』の間がずいぶん開いてきた気がします。
そもそも二つは別モノだし、縦割り学問で考えれば、前者は科学技術、自然科学が担う一方で、後者は倫理学、人文科学が担うものです。これまでは『できること』が『していいこと』に比べてかなり小さかったし、問題にもならなかったのかもしれない。

何でもミックスすればいい、という考え方は短絡的で嫌いなのですが、この隙間は科学技術が科学技術である以上は埋めることはできないだろうし、これからも問題になっていくところだと思います。

だから、鉄人28号ってすごく教訓めいた作品だと思うのです。