靴のサイズのように

昔、プロとアマチュアの中間くらいの人たちが何組か出るライブに行った。おそらく4、5年前。

もちろん、自分でチケットを買っていったわけではなくて、誰か友達が弾みで手に入れてせっかくだから行こう、という流れだったと思う。

そんなレベルだから、どんなバンドが出ていたかはあんまり覚えてない。後半はそれなりに聞いたことあるような人たちも出ていたような、出ていなかったような。

それだけあやふやな記憶なのに、一つだけ覚えているMCがある。残念ながら感動したのではなくて、落胆させられたのだけど。

そのMCをしたのは軽くビジュアル系みたいな、いかにもかっこよさげなバンドで、ロックというかポップというか。よく捉えれば、誰にでも分かるような音楽をしていた、と思う。

悪く捉えれば、ありがちな自己満足なバンドだったような気もしてくる。

そんなバンドが、一通り演奏を終えて、ファンやら興味のない客やらに向けてボーカルの男が興奮したまま最後のメッセージを放つ。

『今日はほんとにありがとう!』

たぶん、お礼くらいは言ってた。

『ほんとにね、俺達は音楽は自由だってことをみんなに伝えたいんだ!』

ほぼ原文どおりでこんなことを言ってた。

音楽だろうと文学だろうと映画だろうと、作り手がどんなメッセージを発信しようとそれは個人の自由だし、一見無意味に見えることでも作り手の捉え方次第では考えてもみなかった世界が見える、なんてこともあるだろう。

彼等は本気で音楽が自由だと主張したかったのかもしれないし、そのために最も適しているであろう、もしくは自分達でできるかぎりの形で表現していたのかもしれない。

でも、少なくとも僕にとっては予想だにしないメッセージを投げかけられていたことが衝撃的だった。

『こんな俺達だって音楽していいんだぜ』みたいな意味だったのかもしれないけれど、ありがちな編成で、既存のスタイルを脱しておらず、型にはまったような音楽をしている彼等が言う自由、というのは受け入れがたいものがあった。

『たま』とかが『音楽は自由だ』なんて言ってたら、印象は違ったのだろうし、

『自己満足でも喜んでくれる人たちがいるんだ』とか言ってたら見直したかもしれないし、

僕が彼らのファンだったらまた全然違ったことだろう。

言ってる内容とそれを言う人のスタイル、加えてそれを聞く人。一つ違うだけで全然受け入れられなくなったりするのだろうから、せめて自分のスタイルと自分の言う内容くらいは靴のサイズを選ぶように慎重になろうと思います。