先日、フルマラソンを走ってきた。
そしてその3週間後にもフルマラソンを走ってきた。
そして痛めた右膝はまだ痛い。
なぜこんなことになってしまったのだろう。
2回目の35kmくらいのところで膝の痛みに耐えながら、ふと疑問に思った。
一緒に走るはずだったランナーは他に3人いたはずだった。
しかし、なぜ今、僕は1人でこの痛みに耐えながら走っているのか。
2人は研究室の教授と後輩だった。
2人とも僕よりも優れたランナーで、後輩の方は2時間台で走るほど強者だった。
ところが3日前に聞いてみると、『勇気ある棄権』を選ぶと言う。
あまり走り込んでいなかったところで急に練習したら、膝に違和感を覚えたらしい。
僕の膝はもはや違和感では片付けられない痛みになっているというのに。
そんなわけで2人は登録しておきながら棄権した。
残る1人は学部の同級生で、彼もまた2時間台で走る強者だった。
彼の誘いもあり、今回の1回目のマラソンにあたる3月終わりの佐倉マラソンに出ることにしたのだ。
その登録の数日後、今度は2回目にあたるかすみがうらマラソンへの参加も誘ってきたのだった。
さすがに3週間では完走できる自信もないので、あまり乗り気ではなかったのだが、
『自分も走るし、ゆたかならきっと走れるはずだ』
という誰でも考えつきそうな甘い言葉に乗せられて、
『僕ならきっとできる』
その気になったのだった。
ところがその数日後、かすみがうらと同じ日に行われる掛川マラソンに出ることにした
という軽い裏切りの報告を受け、さらにその後、佐倉にも登録していないことが判明し、
単独で2回のフルマラソンを走ることとなったのだった。
こうして38km地点を歩きながら、どうやったら途中棄権できるのだろう?などと考えてはいたが、
実際にはどうにも棄権できない理由があった。
フルマラソンには1人で出ていたが、同じ日の10マイルレースにお嬢様とその母上様が出ており、
彼女のご好意に甘えて、会場まで連れてきてもらっていたのだった。
しかも先に走り終わってしまう彼女たちは一度帰ってから、また迎えにきてくれるという。
つまり、ヘタに棄権して帰りが遅くなってしまうのはかっこわるいのである。
『4時間半したら連絡します』
と宣言した手前、不退転の信念でゴールに向かわなくてはならない。
そんな『どうしてこんなことに?』という不条理と『それでも行かなくては』という信念と、
痛む右膝を抱えて歩いたり走ったりしながらなんとかゴールに辿り着いたのだった。
宣言通りの時間に連絡して迎えに来てもらえ、
『がんばりましたね、おつかれさまでした』
的な労いの言葉をいただいた。
まぁ、これだけでも焼けた皮膚と痛めた膝の犠牲を払ってでも走った甲斐は十分にあったのだろう。