科学技術予算

日ごろ考えてる科学技術の話をまた。

国では第三期科学技術基本計画として、2006年から2010年までの5年間の科学技術振興について基本的な方針を決めています。
第三期というくらいだから、一期と二期があったわけで、その中身も社会状況や目標の進捗状況によって少しずつ変わってきています。

その中で一貫して定めているのが、科学技術関係予算の目標額。17兆円、20兆円ときて第三期では政府の研究開発投資に五年間で25兆円を計上することを目標にしています。が、19年度予算案では、科学技術関係予算は約3兆円。計画目標では年平均5兆円ないといけないわけだから、研究開発投資というのがこの予算を差すのならば、額でいくと現実は計画通りにはいっていないと言えそう。
文教及び科学技術振興費がそれにあたるとすれば目標達成だろうけど、文教はさすがに違うし…。

それでも資料を見ると、18年度の補正予算を含めると、18年度の当初予算と比較して2.7%の増で名目成長率の2.2%を超える伸びだと強調してある。歳出全体が抑制される中でこれだけの伸びがあるということは、それだけ重要な政策なのだ、ということだろうけど、一国民としてはそれをわざわざ強調することの意図があんまり分かりません。

ただ、全体として歳出削減しようとしている中でなんでわざわざ科学技術を増額したのかについては疑問です。

イノベーションとか国際競争力とか知識社会だとかでかなり短絡的に『科学技術が重要』という話が最近特に多いと思います。別に否定はしないし、むしろ同意します。メリハリをきかせた戦略的重点化とか競争的資金の拡充というように概要についてもなんとなく問題はないように見えます。
が、あまり中身を見ずに重要性が語られて予算が組まれているという『イメージ』が払拭できないのです。
簡単に言えば『選択と集中』したバラマキになっていると思っています。

これは研究費というものの特徴でもあると思うのだけど、投資額に対しての効果が予測できず、かつその効果自体も評価することが難しく、あまり語られてもいないということがあります。
そもそも、研究自体が未知のものを明らかにしていくことなのだから、立てた予定通りにいく方がおかしいのです(この誤解も研究費の不正につながってる気もします)。
だから、『研究費に対して費用対効果を評価すること自体がおかしい』という考え方もありますが、僕はそうは思いません。

何らかの妥当な評価基準を模索して、適正な研究予算額を決められるのが理想ですが、それができないのならば、『科学技術予算は増額すべきだ』という主張も研究費の部分に関しては根拠が薄くなると思います。

そう考えると、科学技術予算はかなりファジーなものであって、それ単体でどうのという議論ではなくて、他の歳出がどうなっているか、という全体のバランスの中で決めていくのが健全なのではないかと思っています。

それでも増額していくのが政治的判断なのかもしれませんが。